◆2004年ブラジル勢和会 トーナメント参戦(6/30〜7/9)
『ブラジル旅行記』
尾上仁郎(弐段)

香川県大会から3日後の6月30日のお昼前、桑島師範、岩田さん、松本君と僕の4人は、ブラジル勢和会トーナメントの出場と観光をかねて、長いブラジルへの旅へと出発しました。東京成田にて、城西三和道場三和純師範、今井さん、榎木君(2人共三和道場黒帯指導員)と合流し、日本から計7人が地球の裏側の異国の地へ赴きました。

1度ロスで給油しるものの、計24時間にも及ぶ飛行でしたので、またもな体調でブラジルに降り立った人は皆無だったのではないかと思われました。しかし、サンパウロに着くとすぐにアデミール師範とご家族の方々が出迎えてださっている事がわかり、再会の喜びと、本当にブラジルまでやって来れたのだなぁとう実感がわいてきて嬉しくなりました。日本とブラジルは、丁度12時間の時差があるので昼と夜がまったく逆の計算になります。ですから、国際電話で日本へ連絡をとる時に変な感じがしましたが、何より我々選手は時差ボケと飛行機酔いを調整するのに本当に苦労しました。起きている時間、常に頭がボーとして、立っていてもフラフラした状態が続き、僕自身は減量もあってとてもまともなコンディションで試合に臨むのは難しいと感じました。しかし、初めて逆の立場、海外の選手が日本に来て勝利することがいかに困難であるかということがわかりました。
7月4日の試合当日、会場入りしたのはお昼すぎでしたが全ての試合が終了したのは何と(!?)9時すぎでした。…びっくりしました。ブラジル人の空手スタイルはというと、やはり上段蹴りは「ブラジリアンキック」の異名をとるが如く凄まじいものがありました。少年部からおじさんに至るまで、変則蹴りや踵落としをバンバンとくり出していました。試合においては、まず日本と違う点はラッシュや手数の差でのポイント勝利はないということです。明らかに相手を効かすか、1本勝ち、技有りを取らないと勝利できないことがわかり、日本人選手、少なくとも僕自身は普段とはまったく違った緊張感で試合に臨みました。榎木君の試合中、ブラジル人相手に放った顔面殴打で会場中がブーイングの嵐に囲まれ、今回は僕達がヒール役のようで滅多にない経験ができたと思います。と言うのも、会場のお客さん達がいい試合には熱狂的な声援を、しょっぱい試合や反則にはブーイングでわかり易い反応をしてくれるので、選手としてはやり甲斐があるだろうなぁと感じました。
試合後、夜11時頃から結局朝5時まで打ち上げパーティを開いて頂いて、僕は生まれてから一番お酒を吐いた夜でした。 日本人選手は皆つぶされて、生き残った人がカラオケを歌っているという、日本で見た事がある様な光景が地球の裏側 ブラジルでも起こり得ていたような気がします。試合が終わった翌日からは、食事を気にしていた僕達選手も思う存分 おいしいビールや肉料理を味わうことができ、時差ボケも今頃になって解消してきた事も手伝って、のびのびとゆったり 観光を楽しませて頂きました。得にイグアスの滝の壮大さは文章では表せない程、圧巻でした。 アデミール師範のブラジル勢和会本部道場に、滞在中何度も伺わせて頂いたのですが、そこには大山倍達総裁の写真が 飾ってありました。僕が感じたのは、本当に日本の裏側でこうしてアデミール師範と桑島師範との御縁で空手を通じて 交流ができたのも、元はといえば大山総裁が存在したからに違いなく、この事は凄い事だなぁということです。総裁が いらっしゃなければ、今回の旅行やアデミール師範はじめブラジルの方々との出会い、ひいては私達の出会いもなかったのですから。 ブラジル滞在中、皆様に大変お世話になったのですが、アデミール師範には言葉にできない程のお心遣いをして頂きました。 ブラジル最後の夜、僕と松本君だけディスコに連れて行って頂いて、そこで「You are my family!!」と、言って 頂いたのを僕達は忘れることができません。7月9日の夜、何とか無事高松に着くことができました。長い旅でしたが、 本当に心に残る最高の旅でした。留守中、指導員の皆様や道場生の皆様には大変ご迷惑をおかけしましたが、 今回の経験を道場のために少しでも役立てていければと思います。 押忍。

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